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2013年4月7日日曜日

【HAM】Early "TRIO" Rigs.

 【TRIO TX-1型送信機キット
 TX-1はTRIO(いまのKenwood社)が初めてHAM用に発売した送信機キットである。 先に扱ったTRIO 59C Line(←リンク)の送信機、TX-88Aの前にはTX-88(Aナシ)があったから、さらにそれ以前と言うことになる。
 週末に古い雑誌に目を通していた。 なかば幻の送信機キットとなっていたTX-1の記事が目に入ったので紹介してみたいと思う。いまやすっかり忘れ去られた存在だ。

 TX-1は写真のようなラック組み付け構造の送信機キットである。 最上段が送信部、中段が変調器、そして最下段が電源部となっている。 各部は独立しているので積み重ねず別個に配置・レイアウトすることも可能だ。 以下、各部について簡単な説明付きで紹介して行こう。

参考:マガジンランド社の「列伝アマチュア無線機50年史」(1995年刊:絶版だろうねえ)にも記事がある。超古いRigがカラー写真で見られる興味深い本だが、どうも考証が甘くて内容には重大な誤りも多々。しかし参考にはなるので古い無線機にご興味の向きはぜひ一度ご覧を。掲載のTRIOのパンフによればTX-1は1954年に準備し1955年早々に発売したようだ。

 【TX-1の送信部
 VFO付きになっているのが後のTX-88シリーズとは異なった部分だ。 6BA6を使ったクラップ発振回路のVFOを内蔵する。VFOのコイルとバリコンはきちんとしたLCボックスに収納されている。(次の写真に内部の様子が写っている)

 TX-1を開発していたころは運用周波数が水晶発振のスポット割当だったはずだ。バンド割当になったのはちょうど発売になったころだった。事前にバンド割当が予見されていたらしい。文面に嬉々とした様子が伺えるとともに、VFO内蔵で対応し商品性をアップしておいたのだろう。(1954年12月3日よりバンド割当になった) 水晶発振の時は6AR5を三結にした無調整発振回路がチョイスされる。 まずVFOあるいは水晶発振子で3.5MHz帯を発振させる。 次のドライバー段はストレート・アンプで3.5MHz帯を、或は二遞倍で7MHz帯を得ている。こうしたヤンガーステージに6BA6や6AR5と言ったラジオ球を使うのは当時の常套手段だった。

 終段のUY-807は常にストレートアンプとなっている。CWのキーイングは終段管のカソード・キーイングだ。 発振停止時に過電流が流れて終段管が傷むのを防ぐ為にカソードに抵抗を入れた安全バイアス式になっている。 なおタンク回路はπマッチではなく並列同調にリンク結合の形式である。当時のオーソドックスな手法と言える。負荷インピーダンスの自由度は小さくなるが、大容量のロード・バリコンが不要なのは経済的だ。いずれにしても当時はハシゴ・フィーダーが全盛であり、各局ともアンテナカプラは必須なのでπマッチの必要性は低かった訳だ。

 メーターで終段のグリッド電流:Igとプレート電流:Ipを切換え式に読んで同調操作を行なう。コストが許せばメーターを2つ付けると調整はし易い。 メーター・シャント抵抗:RS1とRS2に値の記載は無いが、これは各自が付属して来たメーターの感度に適宜合わせろと言う意味だろう。メータ・スケールはIg=10mA、Ip=100mAでフルスケールになるようにする。

 【TX-1の変調部
 シャープカットオフの五極管:6SJ7を使ったマイク・アンプでゲイン40dB以上の大きな増幅度を得ている。さらに1/2・6SN7による電圧増幅のあと同じ1/2・6SN7のP-K分割でカソード側が同相、プレート側で位相反転してPush-Pullの出力管をドライブする。 クリスタル・マイクあるいはハイ・インピーダンス型ダイナミック・マイクを想定した変調器としては常識的な回路構成だ。 6SN7の段間にあるスイッチは音声をローカットするための切換えである。(オープンでローカット)現代的には、6SJ7はmt管の6AU6に、6SN7はノーバー管の6CG7または6FQ7が同等品だ。

 電力増幅段には当時ポピュラーな五球スーパーの出力管:UZ-42、あるいはちょっと洒落てGT/Metal管の6V6をプッシュプルで使う。 なお、6F6はUZ-42のGT/Metal管バージョンである。 プレート電圧にもよるが10〜15Wは得られる筈なので、UY-807ファイナルの送信機に良くマッチしている。 ほぼ100%変調が可能だ。 変調トランスはUZ-42か6V6を使うのかで、一次側p-p間の最適インピーダンスは異なる。 そのSpecが書いてないのはマッチしたものを自分で考えて使えと言う意味だろうか。当時のHAMなら当然持っているスキルだった筈で、常識的なことは書く必要も無かった。 お薦めの近代的電力増幅管は6BQ5と言いたいところだが、UZ-42はともかく、6V6や6F6の入手は容易だからそれで良かろう。

TX-1の電源部
 回路を見て意外に「真面目だなあ」と思った。 各電源にはちゃんとチョークコイルが入っており、VFO用には定電圧放電管も入れてある。

 高電圧側の整流管は当時の代表的パワー用であるKX-5Z3だ。 整流したあとチョークインプット型式の平滑回路になっている。 低圧系には更に2段目のチョークコイルが入っており、リプルの低減をはかっている。 ハムの乗った電波はみっともないので対策したのだろう。(注:高圧側、即ち5Z3整流の方にある平滑コンデンサ20μF+20μFが350V耐圧なのはミスプリントだろう。スタンバイ時など負荷が軽いと600V以上出る計算なので500V耐圧品でも不足だから350V耐圧品を2個直列にするなどの耐圧アップが必要だ。或はトランスの電圧を下げる必要がある)

 VFOは別の電源トランスを使った独立した系統になっている。 整流管にKX-80BKを使うのは五球スーパ用でポピュラーだったからだ。mtの整流管:6X4の両プレートを結んで使うのも良い。 KX-80BKのmt同等管:5M-K9を使っていないのはまだポピュラーではなかったからだ。 並四ラジオでお馴染みのKX-12Fでは少々容量不足なのだろう。 定電圧放電管:VR-135は地方HAMには入手難だったと思う。当時なら通販で買えたかも知れないが、現在ではまったくのレアものになっている。従って入手容易なVR-150mt/0A2で代替するのが良い。+15Vの違いはまったく問題ではない。 電源部は費用の掛かる部分なので、おいそれとリニューアルはできない。将来対応で十分余裕を持つよう配慮していたようだ。 これから作るなら整流管ではなくシリコン整流器が良のではないか。

                 −・・・−

 TRIOのTX-1はオーソドックスな設計のキットになっていたと思う。 三田無線研究所:DELICAにも同種の送信機キットがあったが、あちらの変調器はUY-807のハイシング変調なのでこちらの方が優れている。 ただ、このような「シャシ+パネル式」の構造なら当時の自作機といくらも違わない。あえてこんなキットを買おうと思うHAMは少なかったかもしれない。幻の送信機キットと言われる所以だろう。 この構造でVFOを内蔵したのも失敗ではなかったか。どれだけ売れたのだろうねえ・・・。

                 ☆ ☆ ☆

 【TRIO 6R-4S型全波受信機
 送信機だけではステーションは構成できないので、オマケで受信機のキットも紹介しておく。 ベストセラーだった高一中二の9R-4或は9R-42Jについてはあちこちで見かけるので入門機の6R-4Sにしてみた。

 いずれもデザインは良く似ているが、これは当時流行っていた米ハリクラフターズ製受信機をパクったからだ。 左側の扇がメインダイヤル、右扇は100分角のスプレットダイヤルになっている。いずれも糸掛け式だ。但し周波数の直読は無理だ。 十分減速されたダイヤルにBFOとSメータを付けたことで「通信型受信機」の体面を保っている。 それが無ければ、回路的には単なる五球スーパになってしまう。hi

6R-4Sの回路図
 上にも書いた通り、高周波増幅ナシ、中間周波増幅一段、すなわち「高ゼロ中一」の五球スーパーと等価だ。 その五球スーパーにハートレー発振回路のBFOが付いている。それで6球で6R-と言う訳だろう。-4Sと言うのは、4バンドのSuper-Hetの意味だろうか。

 Sメータはオプションだったらしく、回路図に記載が無い。 38型の丸メータを自分で購入して付けろと言う意味だろう。 Sメータ回路もユーザーのお好みでどうぞと言った案配だ。 私なら12AU7でも足してAGC電圧を読む差動増幅型を付けたい。 あるいはIF増幅管:6BD6のスクリーン電流の変化をブリッジ式に読む形式も良さそうだ。そのIF増幅管もHigh-gmな6BA6に交換したい感じ。

参考:写真のようにSメータが付いている6R-4Sは珍しい。9R-4とも異なるので写真の載せ間違いではないようだ。 Sメータ下のゼロ点調整が刻印されているなど改造品とも見えないのでSメータ付き別モデルの販売を予定していたのかも知れない。

 自身のSWL経験から3.5MHzあるいは7MHzならそのままでも何とか使い物になったと思う。しかし最低限の受信機にはちがいない。各バンド毎のプリセレクタを付けるか14〜28MHzと言ったハイバンドにはクリコン(クリスタル・コンバータ)を付加するなど拡充が必須だ。 別の言い方をすれば「不完全な受信機」と言うことになる。 勉強しながら改善して行くと言った入門HAMの道筋には良い受信機だったのかもしれない。 これはいまでも同じで、最初から完成されたモノが与えられればむしろ何の進歩もしないものである。 いまや若者に進歩した完成品ばかり与えたがる社会の風潮は彼らの一段の飛躍を阻害しているに違いない。

                   ☆

 まだ4アマや3アマと言った初級資格制度は存在しない時代だった。 HAMバンドも長閑なもので、五球スーパー並の選択度でも行けたのだろう。 皆がAM波なら周波数安定度も厳しくない。 TX-1のような送信機でも何とかなったと思う。もちろん、いまじゃ通用しないのでAMでオンエアしようと思うなら遥かに周波数安定度の良い送信機や選択度に優れた受信機がお薦めだ。 このTX-1や6R-4Sがリアルタイムだったのは団塊世代のHAMより更に上の世代のはず。 もちろん、私なんかガキの時代でメダカや蛙なんかを追いかけていたころ・・・ウん?もっと前か。(笑) de JA9TTT/1

(おわり)

10 件のコメント:

  1. 加藤さん、こんばんは。
    1954~1955年 当時は高校生だったので無線は未体験。
    広大入学でやっと2アマをとり一度開局
    しました。コールはJA4AVW。

    記事の広告は知りませんでしたが懐かしい気がします。

    当方は余裕がなく 自作の機器で14メガCWオンリで初め LU局と交信した
    事を思い出しました。

    以上 忘却の彼方から。

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  2. TX-1は「列伝 アマチュア無線機50年史」という本に国産メーカー初の送信機TX-1という記事にカラー写真付きで紹介されていて、それで存在を知りました。

    最近は7MHzの上の方でAMを使ったQSOが行われているようで、CQ誌にも記事が掲載されてますね。


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  3. JO1LZX 河内さん、こんばんは。昨晩は豪雨だったと思いますが、被害はございませんでしたか?

    さっそくのコメント有難うございます。
    > 当時は高校生だったので無線は未体験。
    おそらく現在80歳くらいのお方でないとリアルにご経験していないと思われます。河内さんもお若かい。(笑)

    > 余裕がなく 自作の機器で14メガCWオンリ・・
    今のようにメーカー製の高級完成品を誰でもが買える時代ではなかったでしょう。自作で工夫するのが普通で当たり前だったのではありませんか。かえって思い出深いと思います。

    > 以上 忘却の彼方から。
    思い出して頂けるよう、このBlogを作りました。hi hi

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  4. JE6LVE/3 高橋さん、こんばんは。 大阪のお天気は如何でしたか? こちら、昨日・今日とおかしなお天気です。

    コメント有難うございます。
    > それで存在を知りました。
    私もそれを見て初めて存在を知りました。 TX-88(Aナシ)が最初の送信機だとばかり思ってましたので・・・。

    > CQ誌にも記事が掲載されてますね。
    リバイバルだそうですね。 アマチュア無線は進歩的だった筈なのに、何だか・・・と言う感じもしています。ww

    まあ、もとラジオ少年が思い出して再開する趣味になってますから仕方ないかなあ。(爆)

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  5. 加藤さん、皆さんおはようございます。

    今回のお題は古すぎて私もよくわかりません、東通工や春日無線はすでになかったのですがまだ名前だけ流布していた時代でしたので、その意味で懐かしい話題です。
    自分の父の時代に近いので、「聴いた記憶がある」程度ではありますが・・・

    9R-4Sは確かに五球スーパーですねーー この構成では、7MHzくらいが実用感度でしょうね。
    9R4J,9R59,JR60とTRIOの受信機を使ってきましたが高1中2でも同じようなものでしたね。
    AM最後の時代にSTARのSR200を使いましたが、これはゲインがたっぷりで14MHzは十分で15mでもいけました、やはりHFはゲインだなあと思ったものです。
    その頃は、耳フィルターや耳Sなんて言う単語も生きていて、AMのビートのかから信号を聞き取るのも腕のうちでした。
    今では通用しない話でしょうが。

    7MHzの上の方でAMとは知りませんでした、RXの灯を入れてみます。

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  6. 加藤さん、こんばんは。
    ををっこれは一段とレトロな・・
    ココまで古いとウチの親父がJA1●●で運用していたかいなかったかという時代でしょう。
    でもその時代はみんなアメ(リカ製)ジャン(ク)を秋葉あたりで漁ってきては仲間と
    交換会したりしながらじっくりと組んでいた(そうせざるをえなかった)時代でしょうから
    はじめっから部品一式というのはできなかったのではないかと思います。おそらく受信機
    は半分近くが0-V-1とか1-V-2とかの時代で
    ちょっとリッチな人が2バンドスーパー、もっとリッチな人は3バンドか4バンドスーパー
    だったのでは?と思います。
    6R4はHiバンドでは別売の「シグナマックス」を追加しないとかなりキビシい状態
    だったと思います(追加してもたいしたことはなかったとも思われますが)
    とにもかくにも懐かしい記事、ありがとうございます。

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  7. JA8CZX 矢北さん、こんばんは。 北海道にも春の足音は聞こえて来ましたか?

    コメント有難うございます。
    > 東通工や春日無線はすでになかったのですが・・・
    ずいぶん前のお話なので、昔はそう言う名前の会社だったのだと言う知識のみの世界でしたね。(笑)

    > 7MHzくらいが実用感度でしょうね。
    そうでしたね。 高一中二でさえ14MHzともなると、かなり怪しくなってましたから五球スーパーでハイバンドは厳しいです。 トリオのS-Cコイル(6~18Mc)を買って五球スーパを改造したのですが、高いHAMバンドは何も聞こえなかったのですぐ元に戻した記憶があります。

    > 信号を聞き取るのも腕のうちでした。
    7MHzなんかビートに明け暮れていましたからね。 AMと聞くとその頃の様子が思い浮かびます。hi hi

    > RXの灯を入れてみます。
    聞いてみて下さい。 AMの出るリグはけっこう多いのでブレークを掛けたら面白いでしょう。

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  8. JI1TWW半田さん、こんばんは。 このところ怪しいお天気続きですね。

    コメント有難うございます。
    > ココまで古いとウチの親父がJA1●●で・・・
    当時は初級資格も無かったですから、HAMは恐らく成人のお方が大半だったはず。従ってリアルにご存知なのは現在80歳近いお方ではないでしょうか。ここをご覧のお方にはちょっと古過ぎましたね。(笑)

    > みんなアメ(リカ製)ジャン(ク)を秋葉あたりで・・・
    当時の雑誌広告によれば、大戦後の進駐軍ジャンクと朝鮮戦争で発生した米ジャンクが溢れていた時代だったようです。 いま見たら羨ましい気もしますが、国民は総じて貧しく、まだひもじかった時代だろうと思います。今の尺度で当時を考えてはダメですね。それに良い機械はそれなりに高額ですし。

    > 半分近くが0-V-1とか1-V-2とかの時代で・・・
    まだAMとCWの時代でしたから簡単な割にゲインのあるストレート受信機も未だ実用的だったでしょう。 バンド開放で混信が激しくなり急にスーパー化が進んだようです。

    > 「シグナマックス」を追加しないと・・・
    9R59時代の『SM-5』型ではなくて,「SM-1」型の方のシグナマックスですね。hi hi

    > 懐かしい記事、ありがとうございます。
    ちょっと懐かしさを通り過ぎていたかも知れませんね。 こんどはもっと新しいお話にします。

    返信削除
  9. 加藤さん、こんばんは。
    連日の投稿失礼します。

    >当時は初級資格も無かったですから・・
    そうなんですね。しかも従事者免許の方も5年の期限付きでしたから、うっかりすると
    人間のほうも「免許切れ」になるおそれがありました。運転免許の様に書き替えがあった
    ようです。

    >米ジャンクが溢れていた時代・・
    バリコンなんかも黄色っぽいメッキがなされていて、つまり「銀メッキ」だったわけで
    一方、キットに付けるのは片岡とか菊名あたりのを搭載するのですからMilスペックには
    勝てませんね。

    >「SM-1」型の方のシグナマックスですね・
    結局、このシグナマックスを内蔵にして局発を他励振に、IFを2段にしたのが9R4、42、59
    と続くベストセラーの製品群ですね。使用
    部品も一般的な町の電気(ラジオ)屋で入手
    可能なありふれた部品にしたのも売れた要因だと思っています。
    ところで9R59は局発に6BE6の3結で発振させていますが、何かの雑誌で6C4に換えて性能
    (安定性)アップ云々というのがありましたが
    結局大差なかったようでどうやらコイルと
    いうかコイルパックの方に原因があったのでは?と考えています。でも限られた予算内で
    バランスの取れた受信機だったのでしょう。改造して楽しむ余地もたくさん残してくれているようですし。

    ちょっと長くなりました。今回はこれにて。

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  10. JI1TWW 半田さん、こんばんは。

    再度のコメント有難うございます。
    > うっかりすると人間のほうも「免許切れ」に・・・
    従事者免許証は大きくてずいぶん立派でした。今は運転免許よりも簡素ですけれど・・。(笑)

    > 黄色っぽいメッキがなされていて・・・
    これはMFPの黄色のことかも知れませんが、確かにアメジャンのバリコンなど軍用ですから戦後復興の国産民生用部品ではとても太刀打ちできない品質でした。hi hi

    トリオやスター、八重洲もラジオ用部品を寄せ集めて作っていたのですから、軍用パーツからスタートし簡略化して作ったCollinsのアマチュア機に敵う筈はなかったです・・・少なくとも球の時代は。(笑)

    > 町の電気(ラジオ)屋で入手可能なありふれた部品・・
    初期にはラジオ用パーツ、その後はTV用パーツが入手性の点から無難でした。 そうでないと保守に困りました。変な送信管よりUY-807の方が安心でしたが、他人が使っていない変わった球を使いたくなったものです。(笑)

    > 6C4に換えて性能(安定性)アップ云々というのが・・
    多少の効果は有ったように思いますが、コイルパックのあのコイルのままでは限度が有りますよね。 わたしは6AK5の三結が良かったように思います。まあ気分程度のもので、極端な差は無かったですが。(笑) 9R59Dでは1/2・6AQ8になりました。

    9R59の様な高一中二でも7MHzくらいまでなら、SSBも何とかなる周波数安定度はありますね。 それ以上のバンドは頂けませんけれど。ダメなところを改良(時に改悪)するのも各自楽しみの一つでした。

    機械いじりが好きなHAMにとって、そう言う時代は面白かったと思います。

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